概要

■ワンダーフォーゲル(wander vogel)とは?

『ワンダーフォーゲル』とはドイツ語で「渡り鳥」を意味し、1896年にベルリンのシュテリッツ中学校の教師カ-ルフィッシャ-によって提唱されました。当時、資本主義の発展によって都市の目覚しい成長が青少年の生活から魅力的な大自然を奪っていった背景にあって、再び自然に触れる機会を積極的に作ろうというのがその始まりです。

まるで渡り鳥のように山野を歩き、自然に親しみ、行ったことのない地を訪れ、見聞を広めて教養を養おう、雄大な自然に自らの歌声を響かせ、友情と信頼を暖めあおう、というのがその主な活動目的でした。やがて「ワンダーフォーゲル運動」は世界に飛び火し、我が明治大学にもワンダーフォーゲル部が設立されるに至ったのです。


■部の歴史


大正15年春海外留学から帰って母校の教壇に立った春日井薫教授は、大学らしく学生の自発的研究を奨励すべく、今で言う金融研究会を主宰しておりました。商学部や政経学部の勉強専門の秀才が集まりましたが、この学生たちは、どうも体が弱く、数十名の中七人までもが胸の病を患い、その中三人は遂に青春の夢を抱いて不帰の客となったのです。
「こんなことで安閑として教壇に立って居られない」と他の研究会の学生たちも誘って毎日曜日を武蔵野の山林を漫歩し乍ら人生を語り学問を論じ、子弟と言うよりも友情を深めつつも青白い顔の学生も清い大気と日光にふれて、できる範囲内の保健運動としたのであった。これが何時からとなく「駿台歩行会(あるこう)」と呼ばれるようになったのです。これを正式にワンダーフォーゲルに組織立てしたのは、当時文部省体育局いた出口林次郎氏で、奨健会によって独逸仕込みのワンダーフォーゲル運動を全国的に進めていた。母校にもこの部がないのは残念と、熱血漢師尾源蔵氏の尽力もあって、「駿台歩行会(あるこう)」を母体として、そのまま明大ワンダーフォーゲルに改組したのです。昭和11年2月21日に23名の部員と共に発会式が行われ学生委員長には三本鳴美氏が就任し、これが明治大学ワンダーフォーゲル部の誕生でありました。